【映画】エドワード・ベルガー『ぼくらの家路』(2014)

映画

こんにちは、みぎです。

やっとこさ映画の感想を載せます。

みなさん、エドワード・ベルガー監督をご存じですか?

Netflix『西部戦線異状なし』(2022)が高く評価され、

その年の第95回米アカデミー賞国際長編映画賞を受賞。

その勢いのままハリウッドで『教皇選挙』(2024)を発表。

こちらも第97回米アカデミー賞で作品賞含む8部門にノミネートされ、

ピーター・ストローハン(『裏切りのサーカス』(2012)の人!)が

脚色賞を受賞するなど高く評価されました。

日本の劇場公開時、現実でもフランシスコ教皇が逝去され、

実際に教皇選挙が行われたのも話題になりました。

最近ではコリン・ファレル主演で『端くれ賭博人のバラード』(2025)が

Netflixで配信されるなど精力的に活動しています。

え、すごくない?

すでに新しい巨匠みたいな風格醸し出してないか?

私は自称 権威主義なのでそういうのに弱いんです。

ただ、全然見てないんです。

昨年『教皇選挙』ギリギリ劇場で見れたけど、

他の話題作は見れていない。

最近映画見る元気なくて…とか言ってられない。

そもそもどこからこの人は出てきたのだ?

それを探るべく私はインターネットというジャングルの奥地へと繰り出した…。

エドワード・ベルガー

ドイツ出身。1990年から91年までドイツのブラウンシュバイク美術大学で学んだ後、

ニューヨーク大学ティッシュ・スクール・オブ・ジ・アーツに編入して監督業を学び、94年に卒業する。97年以降はドイツのベルリンを拠点とし、自身の監督作を発表する傍ら、TVドラマのエピソード監督も手がける。

14年、幼い兄弟が母を捜す3日間を描いた「ぼくらの家路」が第64回ベルリン国際映画祭コンペティション部門に出品されて国際的な注目を集め、東西ドイツの時代を描いたTVミニシリーズ「ドイツ1983年」(15)や、ベネディクト・カンバーバッチ主演のTVミニシリーズ「パトリック・メルローズ」(18)などの監督を担当。

Netflixで配信された戦争映画「西部戦線異状なし」(22)は、過去にも米国で映画化されてアカデミー賞を受賞した同名の長編小説をあらためて映画化したもので、高い評価を獲得。第95回アカデミー賞で作品賞・国際長編映画賞ほか9部門にノミネートされた。

出典:映画.com「エドワード・ベルガー」

ふむふむ、少し遅咲きのようですが、

劇場長編デビュー作『ぼくらの家路』(2014)からして

ベルリン映画祭のコンペに選ばれているのだから注目されていたのがわかる…。

ということで、初期のお手並みを拝見しましょうか。

解説・あらすじ

10歳と6歳の幼い兄弟が母を捜す3日間を描き、2014年の第64回ベルリン国際映画祭コンペティション部門に出品された作品。10歳のジャック、6歳になる弟のマヌエルはシングルマザーの母と3人で暮らしていた。ある事件から施設に預けられることとなったジャックは、友達もできず、施設になじめない毎日を送っていた。やがて施設からの外出が許される夏休みが訪れ、その日を心待ちにしていたジャックだったが、母からは迎えが3日後になるという電話が。落胆したジャックは、施設を飛び出し、夜通し歩き続けて家にたどり着く。しかし、母は不在。カギもなく母の携帯電話にかけても留守番メッセージで一向につながらない。母に伝言を残し、預け先までマヌエルを迎えに行ったジャックは、兄弟ふたりで母を捜すため、母の仕事場や昔の恋人の事務所などベルリン中を駆け回る。主役のジャックには撮影当時わずか11歳で、これが俳優デビュー作となるイボ・ピッツカー。

出典:映画.com「ぼくらの家路」

〈以下、ネタバレあり〉

ドイツのヨーロッパ最大の経済大国という華やかなイメージの裏にある、

「子どもの貧困」「ネグレクト」「ティーンマザー」といった深刻な社会問題。

エドワード・ベルガー監督の『ぼくらの家路』(原題:『JACK』)は、

親の愛と社会の福祉からこぼれ落ちていく子どもたちのリアルを、

10歳の少年の目線から厳しく見つめた良作でした。

子どもが親の代わりになって他の子どもの面倒を看る。

そんな描写はこういった題材の映画でたまに目にしますが、

本作が放つ独特の「慌ただしさ」「過酷さ」には驚かされました。

幼い兄ジャックがさらに幼い弟マヌエルの面倒を看る様子は、

他の映画であればどこか長閑で牧歌的に描かれがちですが、

本作では一瞬の油断も許されない、文字通りのサバイバルとして描かれているからです。


愛情はあるけど…

母親ザナという複雑な存在。

彼女は若くて綺麗で、子どもたちを心から愛しているように見える。

彼女を取り巻く男たちも、

わかりやすい悪人や暴力を振るうような人間ではなく、

むしろ子どもたちに対して「気のいい兄貴」のように接します。

しかし、ザナにも、彼女が連れ込む男たちにも、

「親としての資質や責任感」が決定的に欠落しています。

その関係は常に刹那的で、長続きしません。


特に印象に残るのは、この母親の「罪悪感のなさ」です。

彼女は子どもたちの前にいるときは、優しく言葉をかけ、抱きしめ、

「良い母親」としての振る舞いをします。

でも、子どもたちがいない時間は、

彼女の意識から子どもたちの存在は完全に消え去っているように見えます。

子どもを放置している時間、彼女は自分がネグレクトをしているという認識すら持っていないのです。


子どもたちのサバイバル

家に帰れなくなったジャックたちが、放置された車に逃げ込んで夜を明かすシーン。

鍵の開いている車の中に忍び込み、身を寄せて眠る。

その一連の動作があまりにもスムーズで、手慣れています。

これが初めての経験ではない——

つまり、ジャックたちにとってこれは「いつものこと」だったのだと思わされます。

あと子どもってすごいなと思うのが、

サンドイッチ1個で1日歩き回ってしまうこと…。

食べるものがなくついには万引きをするのだけど、

盗んできたのがカフェのスティックシュガーとシロップ。

それをそのまま口に流し込んでいるところ…(甘すぎる…)。


「子ども」でいられた施設

ジャックが一時的に預けられる児童養護施設は、

決して完璧なユートピアとしては描かれません。

いじめっ子とのシーンなどは結構ギョッとさせられます。

しかしそこには、「責任を持って見守ってくれる大人」がおり、

規則正しい温かい食事とベッドがありました。

その施設にいる時間だけ、ジャックは「弟を守る兄」という重荷から解放され、

「10歳の子ども」に戻れているようにも思いました。

だからこそ、物語の終盤、

ようやくたどり着いた家で母親と再会するシーンが重く響きます。

ザナは何日も行方不明だった息子に対して普段通りに迎えます。

その何気なさ、なんでもなさこそが、彼女のありのままの姿でした。

ジャックが必死の思いで残した書き置きには、一切目を通していません。

養護施設での「子どもでいられた時間」を経験したからこそ、

ジャックは施設を脱走した後に突きつけられる「母親ザナの正体」を感じざるを得なかったのだと思います。

子供だけで大変な思いをする映画は昔から多く作られてきていますが

今作で連想したのが、是枝裕和『誰も知らない』(2004)や

トリュフォー『大人は判ってくれない』(1959)や

成瀬巳喜男『秋立ちぬ』(1960)。

特に『誰も知らない』は母親の軽薄さとネグレクト、子どもたちだけの生活、

困窮した末に母親の「昔の男たち」の元を訪ね歩く展開は結構影響があるんじゃないかと思いました。

(双眼鏡を盗むのは『大人は判ってくれない』を感じたり)

しかし、これらの古典的な名作たちと比べ、

ジャックが選んだ結末は、驚くほど具体的で、現実的です。

彼は自らの意志で「母親という幻想」を見限ります。

そして弟の手を引いて、自分から脱走した児童養護施設へと自ら戻る選択をするのです。

そして、施設にたどり着き、映画が幕を閉じると、画面には『JACK』という原題が現れます。

それは、母を探す子どもでもなく、幼い弟の面倒を看る兄でもない、彼自身の名前。

彼はこれから改めて、自分自身を取り戻していくのだと思わせてくれる。

最近のベルガー監督の話題作はどれも比較的潤沢な予算の社会はエンタメという印象が強いです。

長編デビューの今作は最初の作品らしく、手持ちカメラの低予算でした。

『教皇選挙』でも混沌とした中でひとつのはっきりとした希望が提示されるので

ベルガー監督は「過酷すぎる現実を突きつけられるも、

最後に具体的な希望を見出す」という特徴があるのかなと思いました。

他作品も見なければ…!

(あとダルデンヌ作品関連して見ないとな…)

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