【映画】エドワード・ヤン『海辺の一日』(1983)

映画

こんにちは、みぎです。

エドワード・ヤン監督『海辺の一日 4Kレストア』見ましたよ。
エドワード・ヤン監督はお好きですか?

私はとても好きです。

今回は作品のちゃんとした感想というよりも、

好きに書いていこうかなと思います。

「ヤンヤン 夏の想い出」「牯嶺街少年殺人事件」などで知られる台湾の名匠エドワード・ヤンが1983年に手がけた長編監督デビュー作。13年ぶりに再会した2人の女性の会話を起点に、封じ込められていた記憶と人生の層が浮かび上がっていく様子を描き、台湾ニューシネマ最初期の重要作として高く評価された。

佳莉(ジャーリィ)は小さな町の医師の娘として生まれ、親への服従を重んじる伝統的な価値観のもとで育つ。父の権威に逆らえず愛を失った兄・佳森(ジャーセン)の姿は、彼女に深い衝撃を与えた。やがて佳莉は父が望む結婚を拒み、同級生との結婚を選んで家を出る。一方、佳森の元恋人・蔚青(ウェイチン)は、留学先のオーストリアから帰国しピアニストとして活躍していた。蔚青は佳莉の自由な決断に憧れを抱いていたが、佳莉の結婚生活はいつしか理想とかけ離れたものになってしまう。ある日、警察に呼び出されて海辺を訪れた佳莉は、夫との歳月や自分が選んできた人生、そして見ないふりをしてきた感情と向き合いはじめる。過去をたどるなかで、彼女の中に封じ込められていた時間が少しずつ姿を現していく。

主人公・佳莉役にシルビア・チャン。ウォン・カーウァイ監督作品などで知られる世界的撮影監督クリストファー・ドイルの長編デビュー作でもある。2026年7月、4Kレストア版にて日本初の一般劇場公開。

出典:映画.com「海辺の一日」

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2017年に『牯嶺街少年殺人事件』が4Kレストア版で公開された時に、

なんかすごいらしい」くらいの気持ちで見に行って衝撃を受けました。

ちなみにちょっと寝ました。

それ以後、ありがたいことに

修復版・レストア版が次々に公開され、

欠かさず見に行っています。

ヤンヤン 夏の想い出』はフィルムでも見ました(どやっ)。

権利の都合上、長らく見ることのできなかった作品群が

ヤンの亡き後10年も経って再公開され、

日本やアジアのみならず世界中に影響を与えているようです。

アメリカではCriterion社からソフトが出ており、

SNSで紹介されているのをよく目にします。

2023年に発表されたThe Hollywood Reporter(THR)「21世紀の映画ベスト50」で、

『ヤンヤン 夏の想い出』が第1位にもなっています。

2022年公開の『aftersun/アフターサン』という映画、

当時、シャーロット・ウェルズ監督舞台挨拶付きの試写会に当たって見に行ったんですね。

この映画、内容もとても好きなんですが、

人の映っていないシーンやゆっくりとした時間を切り取ったショットなんかに

とてもエドワード・ヤンを感じて、その場で「ヤンからの影響はあるか?」なんて聞いてしまいました。

こんな感じに本当にいろんな人たちに影響を与えています。

日本の監督たちにも影響を語る人は多いです。

前置きが長くなりましたが、

なぜ今回『海辺の一日』の感想じゃなくて、

こんな遠回りに書いているかと言うと感想書くの難しいからです。

実は『海辺の一日』も3週間くらい前に見ました。

なんて感想書いたらいいかなぁ、とか考えてるうちに時間が経っちゃいました。

面白かったです。とても満足です。

エドワード・ヤンの長編デビュー作で、

まだそれ以降の私たちが知るヤンの世界にまではなっていないものの、

1作目から確実にヤン作品としか言えない作品でした。

エドワード・ヤンの特徴の遠景からの長回しは少なく、

ハリウッドライクなバストショットでのカットバックも多用され、

登場人物も比較的少なく、

そう言う意味では見やすさがある作品でした。

しかし167分の長尺

そのほとんどが主人公たちの回想によって語られ、

複数の登場人物の回想が交錯し、

視点が曖昧になっていきそこにヤン的な世界が構築されてきました。

…こんなこと言うと感想というよりも批評になっていくんですよね。

エドワード・ヤンの作品は私にとってとても感想が語りにくいです。

大枠を語っても、細部を語ってもエドワード・ヤン論になってしまうんです。

(というか、ストーリーをうまく説明できない…。)

そしてエドワード・ヤン論を語ってしまうと、

どの作品もおよそ同じような内容になってしまう。

それだけエドワード・ヤン作品は異常な密度の論理によって構築されていると言えるかと思います。

簡単に思ったことを書くなら、

エドワード・ヤンをフェミニズム的な映画作家と捉えていなかったのに、

デビュー作にして女性主人公ふたりの人生の話だったことに驚きました。

それ以降の作品は群像劇が多く、

女性も多く登場しますが、

今作のように「女性の人生」という視点を主軸に語られることは他になかったからです。

理想の愛を選ぶ道を歩んだジャーリィ」と

理想の愛よりも自分の生きる道を選ぶことになったウェイチン」。

エドワード・ヤンの映画はこういった2択がでてきます。

「内省人」か「外省人」か、

「資本主義」か「真実の愛」か。

その軋轢の中に葛藤する様が描かれるのが彼の作品ですが、

今回はどちらを選んでもいい結果になりません。

本当にビターです。

二極が提示されてどちらも答えではなく、

答えは観客が考えなければならない…。

(というか正解はない)

だから感想を書くのが難しい…。

その構造そのものの話をすると評論になる…。

フェミニズムという言葉を出したのは、

結婚をして以降のジャーリィは、

専業主婦として家庭に押し込まれ、

家事はハウスキーパーが行い、

夫ドゥウェイは仕事ばかりで家庭を顧みず、

ショッピングや習い事で発散するしかない状況になるからです。

とても付け焼き刃の知識ですが

これへ50年代アメリカなんかにあった第二次フェミニズム運動の前夜の状態です。

この話をこんなに真正面から男性監督が80年代に

嫌味やたらしさもなく描けているのがすごかったです。

女性同士の連帯や、互いのケアが描かれており、

非常に現在的な感覚に思いました。

そして、物語の終わり、ジャーリィが進む先があるというのが

今現在でも行先を探すフェミニズムの姿を重ねてしまいました。

最近特にエドワード・ヤン作品が人気なのは、

制作当時の台湾を見事に切り取った構築された作品世界というのもあるのですが、

「記憶」というモチーフが大きいのではないかと思います。

今回は特に回想形式で語られているためそれが前面に出ていました。

クリストファー・ノーラン監督の「時間」というモチーフにも通じる

「エモさ」があると思います。

もちろんパンフ買いましたよー!

(ポスターもパンフもデザインもっと凝って欲しいなぁ、宣材が少ないのかな)

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